2014年12月21日日曜日

141205-1211カツドウキロク§5

Restraucionから見た山並み

山火事の見張り台


5(金) 9:30~ JICA安全対策協議会、PM シニアボランティアの方にお話しを聞く。夜、ダハボンのJVと連絡所で映画を見る。

6(土) ダハボンメンバーで、サントドミンゴでお買いもの。スーパーマーケットでハチミツ・ジャムの棚調査。PM 皆で仲良く長距離バスに乗車、ダハボンヘ帰る。

7(日) 休息、貯まっていた家事を片づける。

8(月) 8:00~国境メルカドで販売(キルシー同行)。ショーケースの棚に商品を補充、飾り付けでちょっとだけクリスマス仕様に。

9(火) AM報告書作り、お礼メール等。PM チャゴと首都で買ってきた他社ハチミツの試食会。ハチミツボトルの改善について話す。(キャップ不良について)

10(水) ヨーグルト販促用ポスター作り。材料購入、作成(ダハボンJVと、デカダ事務所) 夜、リューイチ氏に、ジムに連れて行ってもらう。

11(木) RESTRAUCION市訪問(ヘスース、メダリ同行)。


<今月の目標>更新
三カ月目のJICA報告書の準備をする。また半年後の活動計画を考えるため、もっと調べる。
メルカドでのヨーグルト販促プロジェクトを少しずつ進める。
ハチミツボトルの改善プロジェクトを 少しずつ進める。

<来週の予定>
12/17~19サントドミンゴへ(移民局カードの手続きの為)

※その他、わかったこと、雑感※
 久しぶりのサントドミンゴ。ということは、ダハボンに来てから、もう一カ月が経ったということ。
あっという間すぎて、ビックリなくらい早かった。語学研修のじりじりしていた一カ月が嘘のよう。でも、あの一カ月で語学や生活についてもんもんとした時があったからこそ、今が少しは楽になってるのかな。
それにしても、ダハボン一色な上京だった。仲良しのダハボンJVとは、連絡所でも夜中までお喋りしたり、JICA専門家の方にも、既に申し訳ないくらいお世話になっているのに、買い物や移動やらで、重ねて沢山お世話になり.....
都会に出てくるとなぜか帰りたくなる、帰るのが楽しみになる、ダハボンの魅力恐るべし。自分は田舎より都会派だと思っていたのに、田舎向きの人間なのかも。

2014年12月15日月曜日

141128-1204カツドウキロク§4

市役所(decadaプロジェクト)のドミニカ人スタッフからアドバイスを得て、週報のレイアウトを変更。

BEFORE
AFTER

日本人の私から見ると、明らかに前の方が見やすいのだが....
ドミニカ人は、時系列で作られた文書を見るのに慣れていないのか、報告書等では、活動の内容の後に曜日、日付の順で記載するのがドミニカ式のよう。
確かに、ざっくばらんなスケジュール設定で変更が多いこの国では、日時を細かく記録する意味はあまり無さそうだ。



28(金) 8:00~国境メルカドが開いていなかった為、聞き込み調査。夜DECADAでアンヘリートのイベント。
29(土)  休息
30(日)  ダハボン人リューイチ氏の家で、日本食会、Finca訪問。
1(月) 8:00~国境メルカドで販売(キルシー同行)。
2(火) メルカドでのヨーグルト販促計画を作る。サントドミンゴで売るハチミツの準備。
3(水) AM 価格設定についてのTALLERに参加。ジャム作りのお母さん達と話す。PM カリベ・ツールでサントドミンゴへ。
4(木) 終日JICA中間・帰国報告会

<今月の目標>更新
三カ月目のJICA報告書の準備をする。今後半年の活動計画作る。
メルカドでヨーグルトの販促プロジェクトをやる。

※その他、わかったこと、雑感※
 価格設定のTALLERで、ジャム作りのお母さん達と2回目の顔合わせ。原価計算のワークの時に、一生懸命ノートに向かってはいたものの、全くコストを把握していないようだった。自分も未だ分かっていないので、これから取り組んでいく必要。

JICAの報告会で、沢山の初めて会う先輩隊員の方々の発表を聞いた。短い時間ではあったが、 2年間の活動の様子やアドバイスを聞くことができ、自分の活動を計画していく上で、とても参考になった。






2014年12月12日金曜日

141129二国間メルカド①デモ

金曜の朝8時、いつものようにキルシーと国境のメルカドに向かうと、


正面の門の方が、ガヤガヤと騒がしく、前から続いている車の列が全く進まない。


横をすり抜けながら進んでみると、メルカドの正門は閉じられ、内側からはハイチ人が門を開こうと、鉄格子を叩きながら声を上げている。

 

キルシーが大声で、何かあったのか、と門番のドミニカ人に聞くと、


今日はメルカドは開かないよ! という返事がかえってきました。

 

 

 

裏門の方に回ってみると、少し開いてはいるものの、こちらもドミニカ人の警備員が無理やり門を閉じようとしています。


押し合いながら、ぶつかって、言い争いをしている人も。


ピリピリした空気がただよってきました。

 

なんか若干危いかも....すぐに引き返し、事務所へ戻りました。


 

今日のメルカドはどうしちゃったんだろう。

 

組織のナンバー2のバリエントさんに、何が起きているのか知りたい、とお願いすると、すぐに色々な場所へ聞き込みに連れていってくれました。




まず、国境の税関へ。

 

ここがだいたい橋の扉の開閉を管理しているようです。今回の件について、バリエントさんが、職員の人に聞いてくれて、橋が開かないのは、ドミニカ側からの輸出品に対して、ハイチ側が突然に関税を200パーセントまで引き上げた為、それに抗議する意味で、ドミニカ側から門を閉ざしている、ということが分かりました。


 

 

そして、国境の橋へ。

 

ダハボン県では、ハイチとドミニカ共和国の国境は、マサクレ川という川で分断されています。そして、川に架かっている唯一の大きな橋には、青くて大きな鉄の門が設置されています。

 

週に2回、メルカドが開く日には、朝8時に扉が開くと、勢いよく走ってくる人たちがまるで牛の軍団のようにすごい迫力らしい(未だに早起きできず見に行けたことが無い)のですが、今日は門が閉ざされていました。


扉の向こう側には、門が開くのを待つハイチの人達。

そして、沢山のハイチ人が川を渡り、ドミニカ共和国側に入ってきているのが見えました。

沢山の人が頭に荷物を抱えながら、橋から見える位置で川を渡り、メルカドに入っていきます。

本当は、これは密入国ということになります。が、もし三回のメルカドに渡って門が開かないと、ハイチ側の貧しい人達の生活にとって、かなりのダメージになるので、彼らは生きるために、川を渡りメルカドに商売をしに来るそうです。

それを分かっているので、警察や門番の人も見て見ぬふりをしています。

 

これが許されるのは、一つには、柵で囲まれている二国間メルカドの中でだけは、ビザも不要で、関税なしで自由に商売をしてよい、というダハボンのメルカド制度があるから、メルカドに入る為に川を渡る人達については、見逃してもらえているのだそうです。

 

そして、ハイチ人が、メルカドの外(ダハボンの市内など)で商売をする為の、正規の商業ビザを得るには5000ペソが必要だと教えてもらいました。彼らの生活は貧しい人だと一日40~50ペソですから、それこそ100日分以上ということになります。それだけのお金を貯めるのが、どれほど大変なことか。

ドミニカ共和国では、5000ペソという金額は、学校に行きながら働く学生の約一カ月分の給料くらいで、ダハボンへ出稼ぎにくる日雇い労働者でも、一日300ペソくらいの収入を得られるので、やっぱりドミニカ側で働くというのは、彼らにとって魅力的な条件なのでしょう。

 



その後、バリエントさんが、ダハボンの街の中で、ハイチとの貿易に関連する場所へ連れて行ってくれました。


ハイチへの輸出物を運ぶトラック置き場

 

 

これらの場所から、毎日50以上ものトラックがハイチへ物を運んでいくそうです。

 ドミニカからの輸出品は、ほとんどが食糧(小麦粉、パスタ、プラタノ)などで、他には建材(石、鉄、セメントプラスチック)が多いのではないかという話でした。

 

ハイチには、何もない。皆が口を揃えて言うことです。

確かに、メルカドでハイチ人が売っているのは、中古の靴・衣類・化粧品・歯磨き粉や鍋・食器等、全部、先進国からの支援物資や、関税フリーで輸入されてきたものばかりです。そして食べ物はほとんど見かけません。

 

今回の件は、ドミニカ側も輸出の商売ができないことで損失になりますが、食糧が手に入らなくなってしまうハイチの方の、特に貧しい人たちにとって、問題はより深刻なことでした。

 

ハイチ政府は、マイアミやパナマから輸入した食料品を国内で買わせたかったようですが、そうなると、彼らの食費が跳ね上がってしまう為、ハイチでは、ドミニカからの輸入品への関税の値上げに対して、デモが起きていたそうです。ハイチ政府は本当に何を考えているんだ!、と皆が憤っていました。今回は、ドミニカ側(ダハボン市内)でも、ハイチ側のデモを応援するデモが起きていたそうです。


ダハボンでハイチの事について質問すると、いつも、ハイチには問題ばかり、あちらには電気も水もないから、常にデモばかり起きているんだ!というお決まりの答えが返ってきます。歩いて10分の距離なのに、隣の国というだけで、人が自由に行き来できないというだけで、ほとんど情報が入ってきません。 

 

いつもメルカドで隣の地面に支援物資を並べて売っている、ハイチ人のお母さん達は大丈夫だろうか、と少し心配になりました。

 

同じ空間で働いているのに、国が違うだけで、こんなにも状況が違うなんて、考えたこともありませんでした。

 ダハボンでは今まで想像もしなかったことに沢山出会います。

141124人間関係づくり

朝9時10分前、

オフィスに到着すると、もう既に数人の同僚たちがやってきているのが見える。

大きな声で「Buenos dias!!(おはよう!)」と言い合いながら、皆とほっぺたをくっ付けて
ご挨拶 (これは女性だけで、男性同士は握手)

特に親しくなってくると、ぎゅっと抱きしめてきたり、ほっぺに直接キスしてくる人いて、
最初はびっくりしましたが、今では、大分自然に対応できるようになりました。

(そして、ドミニカ人女性の中にも、嫌な人のハグはさりげなくかわして、握手だけで
済ませたりする人がいることも最近発見(笑))



鞄をおいて、机にラップトップを取り出していると、

昨日はよく眠れた?コーヒー飲む?

とみんなが聞いてきます。

思いやり文化があるのか、田舎だからなのか、サービスするのが大好きなダハボンの人達。
コーヒーを入れてくれたり、何やかやと世話をやいてくれます。

朝のコーヒーを飲みながら、昨日どんなことがあったとか、家族の話をしたり、最初の20分くらいは毎日こんな感じ。

仕事に疲れると随時、第二第三のカフェタイムが始まります。

冗談をいって笑い合ったり、とっても楽しいひと時なので、
日本の会社もこういう時間作ったらいいのに、と思ってしまいました(笑)

話を聞いていると、知らない事が分かったり、発見も多いので、最近は作業的な仕事は
ほとんど夜に家でやって、昼間はなるべく人と話をするようにしています。

外国人として受け入れてもらうという事について、ダハボンには現地の人ととても良い関係を築いている移住者やJICAの専門家の方達が沢山いて、いつも彼らをお手本にするようにしています。



それから、かなり日本と違うのが、食事の習慣。

こちらの人達は、ご飯を大量に作って職場や近所でも分け合うのが当たりまえ。
必要量の倍ぐらい作るのが普通なので、時にはものすごい量が余ってることもあって、もったいないんですが、でもやっぱりいつも大量に作るんです。
 
お昼時に家を尋ねると、必ず食事がでてくるので、何軒も立ち寄ると、一日何食食べるんだってことになります。


週に二回、メルカドのブースで働いているときもそう。

近くのハイチからものを売りに来てるお母さん達、アイスを買うと一口食べて、

あなたも食べて、と渡してくれる。また豆ごはんを買っては一つのスプーンで皆で食べる。

お菓子もパンも大き目のを買って、みんなで分ける。


この光景を最初に見た時に、昔バイト先の先輩が、お菓子の置いてない職場はいい職場じゃない!!と断言されていたのを思い出しました。

とても共感したので、

私もこの国のやり方にならい、お昼ご飯を一品大量に作って、オフィスに持っていき、一緒に食べるようにしています。
そして、誰かと分け合えるように、常にオレオやクラッカーを鞄に入れておくようにしました。

それが自然になって、たまに一人でご飯を作って食べると、自分だけの為に料理をしているということに、違和感を感じるようになってしまった、今日この頃。

何か協力隊ポイかも!(笑)

どこかの統計では幸せ指数第一位になったこともあるドミニカ共和国。

たしかに生活の中で、日本とはまた違う形で、相手を思いやる気持ちを沢山感じます。

2014年12月3日水曜日

141121-27カツドウキロク§3

21Vie 8:00~国境メルカドで販売(キルシー同行)、午後もう一人のダハボンJVにメルカドを案内。ヨーグルトの売れ行きが良く、初めて14時半で全て売り終わった。

22Sab 初めての他市視察へ(El pino市、Partido市)

23Dom フルーツ関係のイベントに参加する予定だったが迎えが来ず、待ちぼうけに。

24Lun 8:00~国境メルカドで販売(キルシー同行)、人がまばらで空いている、ハイチでストライキがあったらしく国境の門が開いてないらしい。こんなの初めて。

25Mar 国際女性の日だったらしく、市民講堂のようなところでイベントに参加。

26Mie メルカド事務所にて環境会議、ADETDA役員会

27Jue Chagoに養蜂場に連れて行ってもらう。さっそく蜂に刺されてしまった。が、ぜんぜん腫れなかったので、とりあえず一安心。


<今月の目標>

 配属先の人、組織、プロジェクトを知る

 

<今後の予定>

12.03Mie-06Sab JICAの報告会・安全対策委員会でサントドミンゴへ

 

*その他(報告書外) わかったこと、雑感*

 

情報収集の毎日。知らないことが多すぎて、前任者の方が残していった情報を漁る日々.....
早く活動したいと気持ちは焦るけれど、ちゃんと把握できるまでは、変に動かないようにしたい。


ADETDAはお金の無いNGOなので、支援ファンドに予算を申請して、プロジェクトをやっているようだ。今回、大きなファンドからお金がおりる話があるらしく、バリエントさんがうきうきしていた。

 

金曜の夜に、DECADAの若手メンバーに初めてダハボンのカラオケに連れていってもらったが、店の中は音楽がうるさくて何も聞こえなかった。

この国の人達は、日本では考えられないくらいの音量で音楽をかけることに、全く躊躇しない。

141122初めての他市訪問

ダハボン県には5つの市があります。先週末には、ダハボンのJICA関係の方達のご厚意で、2つの市へ視察に連れて行ってもらいました。

 

市役所とJICAのプロジェクトの一環として、各市の特色を活かしたスローガンを作り、一村一品運動や観光振興を行っているそうです。

 


Partido市

チーズの町というスローガンがあり、道にゴミ一つ落ちていなかったり、教育水準の高い人たちが住むという定評のある市です。

 

まず最初に、チーズ工場に連れて行ってもらいました。

入口には、虫よけの網が設置されているし、ちゃんと手洗い設備がある!


でも、裏口のドアが開けっ放しになっていて、結局ハエがいっぱい入ってきてる.....



ちょうど新鮮な牛乳が運ばれてきて、加熱槽に移しているところでした。



 

次に、地産地消を実践している、地元の名店MAMA TONAへ

店の中には沢山のオリジナルリキュール、調味料が所狭しと並べられていました。

  

日本にも研修にきたことがあるという店主のイスネさんが、日本茶を入れてくれました。

キャッサバの生地で作ったピザ

フルーツを加工して作ったアクセサリーも。


他の市との市境になっている川を通り、



El Pino市へ

ピーナッツの町と呼ばれています。

選別場の見学に連れて行ってもらいました。

 

ピーナッツの皮を取る大きな機械の隣には、女性達が働く手作業の選別場がありました。

お母さん達のつくったピーナッツが町の色々なところで売られています。



最後に、町で唯一のスーパーマーケットで棚調査。

よく思うのですが、スーパーでダハボン産の商品に全くと言ってよいほど、出会わない。せっかく美味しいチーズやピーナッツがあるのだから、もっと商品を作って、流通にのせられたらいいのにな。

 

自分の活動についての課題が、少し見えたような気がした一日でした。